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理事長 ごあいさつ
当院は、開院から60年を機に、当地奈良市三碓町に移転して18年目を迎えます。 地域のみなさまと歩んだ10数年、みなさまの御要望に応えるべく医療内容の充実に努めてまいりました。今後は今までに増し地域に必要なケア、地域と共生する病院をめざし努力を続けてまいる所存であります。 当院は、2階は一般病床38床、地域包括ケア病床21床、3階は障害者施設一般病床58床、併せて117床の病院です。奈良県難病診療専門支援病院に指定されており、3階病棟はALSやパーキンソン病など神経難病や重症心身障害者の方を対象とした病棟です。 2018年8月より障害者総合支援法に基づく、医療ケアが必要な重症心身障害者に医療型短期入所サービスを行っております。 長年培ってまいりました長期人工呼吸管理、栄養管理から得たきめ細かな全身管理を基に地域包括ケアシステムに参加し奈良県の医療に貢献してまいりたいと考えております。 |
当院の歴史
奈良西部病院は医療法人拓生会の創設者である櫻井達良が1946年(昭和21年)冬、終戦を機に出生地である満州から引き揚げ奈良市に定着、翌年の1947年(昭和22年)に東大寺・転害門近くに開設した桜井診療所を発祥とします。 |
救命救急センターが奈良県にまだなかった1980年(昭和55年)、大阪府立千里救命救急センター初代医長を退任した私が院長として就任、地域の救命救急医療に従事いたしました。 1983年(昭和58年)からは、奈良県立医科大学神経内科学教室の協力を得て、やはり当時としては奈良県ではあまり行われていなかった神経内科疾患の診療、神経難病の入院加療を実施してまいりました。 |
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ロサンゼルスで発症した邦人で重度脳梗塞後遺症の方を受け入れたことをきっかけに1986年(昭和61年)より経皮的内視鏡下胃瘻造設術(PEG)を行い嚥下障害のある難病患者さんに積極的な栄養管理をはじめました。1990年(平成2年)、それまでの31例についてまとめた論文、『経皮的内視鏡下胃瘻造設術の有用性』が医学のあゆみ vol.152 No.1 1990.1.6に掲載されました。 2005年(平成17年)、企業の海外進出、海外渡航者の増加に伴う渡航ワクチン接種需要が増加、渡航時医療相談の為の渡航外来を開設いたしました。 |
2007年(平成19年)11月17日、病院の耐震性や来院者のアメニティーを考慮し、現在の奈良市三碓町(みつがらすちょう)に新築移転し、名前もあらたに奈良西部病院となりました。帝塚山大学東生駒キャンパスの正門前に位置し、矢田山丘陵の中の緑豊かな病院です。どの窓からも緑が見え、長期間入院されている方にも、四季を感じていただくことが出来るようになりました。 |
ロゴマークについて
日本書記によりますと、神武天皇の東征時、この地の豪族長髄彦(ながすねひこ)と一戦を交えた際、金色の鵄(トビ)が飛翔して天皇の弓弭(ゆはず)にとまったそうです。その光に目がくらみ、長髄彦の軍は戦うことができなくなったとのこと、以後当地は鵄邑(とびのむら)といわれ、紀元二千六百年(昭和15年)には、金鵄発祥地として顕彰されたそうです。神武天皇が祀られている橿原神宮のある橿原市の市章はこのトビで、近鉄大和八木駅南口にある金鵄像をご存知の方も多いと思いますが、当院のロゴもこの金鵄と弓弭をあしらっています。 |
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